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~問題編~ イタリア旅行記

こんにちは。ねこまるです。

今回行ってきましたイタリア旅行にちなんだ問題をご用意しました。
1級(一部2級)を想定した、世界史・日本史の問題をそれぞれ5問ずつご用意しましたので、自信がおありな方はぜひどうぞ!

世界史
①フィレンツェのサンタ=マリア大聖堂はルネサンス様式の建築として名高いが、これを設計した人物の名を答えよ。

②古代ローマでは水道橋をはじめ、数多くの大規模な建築物が建造された。フランスのポン=デュ=ガール、ローマのパンテオンなどの建築指揮をしたことでも有名な、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの腹心の名を答えよ。

③下の絵画の左の人物は、宗教改革を開始したことで著名なルターの肖像である。これを描いた人物を1~4のうちから選び、記号で答えよ。
20180801205813c8b.jpg
1 クラナハ 2 ボッス 3 ティツィアーノ 4 ホルバイン

④フィレンツェはルネサンスの中心地として有名だが、これに大きく貢献したのがメディチ家の財力であった。メディチ家からはローマ教皇をも輩出し、各国の王室とも縁戚関係を結ぶなどヨーロッパ政界にも大きな影響力を持った。以下のうち、フランスブルボン家の王妃でない人物を1~4から一人選び、記号で答えよ。
1 クロティルド 2 マリ=ド=メディシス 3 アンヌ=ドートリッシュ 4 マリ=レグザンスカ

⑤以下の文章の空欄(  )にあてはまる地名を書け。
 「近世」とは一般的に中央集権的な国家体制が整備される点において分権的な中世とは区別される。しかしイタリアの国家的統一は遅れ、イタリア王国が成立する1861年まで待たねばならなかった。イタリア統一に大きく貢献した人物として、義勇軍を率いてシチリアやナポリなど南部イタリアを占領したガリバルディと、サルディーニャ王ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世が挙げられる。両者は(  )で会見し、ガリバルディが占領地を王に献上することを申し入れ、イタリア統一が実現した。

日本史
①パクス=ロマーナの時代、日本は弥生時代であった。以下の遺跡のうち、弥生時代のものでないものを1~4のうちから一つ選び、記号で答えよ。
1 尖石遺跡 2 紫雲出山遺跡 3 垂柳遺跡 4 唐古・鍵遺跡

②中世においては、多くの国で宗教が政治や民衆生活に大きな影響力を持った。日本の中世においても、政府は寺院等を保護し、宗教的権威を自らの支配に役立てた形跡がある。鎌倉時代、北条貞時は「五山の制」を鎌倉の禅寺に導入したが、これは後に五山・十刹の制として室町幕府3代将軍足利義満のときに整備された。「鎌倉五山」に数えられる寺院として、ふさわしくないものはどれか。以下の1~4のうち一つ選び、記号で答えよ。
1 東福寺 2 寿福寺 3 浄智寺 4 円覚寺

③中世末から近世初頭にかけて、堺や博多は富裕な商人層が市政を担当するなど自治が発達した。その著『耶蘇会士日本通信』において、堺を「ヴェネツィアのような、共和国のごとき都市」と記した宣教師の名と、出身国を正しく記したのは次の1~4のうちどれか。一つ選び、記号で答えよ。
1 ヴァリニャーニ イタリア 2 ガスパル=ヴィレラ スペイン 3 ヴァリニャーニ スペイン 4 ガスパル=ヴィレラ ポルトガル

④江戸時代末期に開国した日本は欧米列強との不平等条約の締結を余儀なくされた。こうした条約改正を大きな課題として派遣された岩倉使節団はアメリカからヨーロッパへ渡り、条約改正は実現できなかったが政府の大官が自らヨーロッパの政治制度や産業を実地に見学できたことは、この後の国家建設に大きな影響を与えた。岩倉使節団が訪れなかった国は次の1~4のうちどれか。一つ選び、記号で答えよ。
1 イタリア 2 スウェーデン 3 スペイン 4 オランダ

⑤世界恐慌の中で主要国が保護貿易政策を進めたため、脆弱な経済的基盤しか持たないドイツや日本、イタリアは追い詰められ、現状打開のためにヴェルサイユ体制の打破を唱えて協力関係を構築することになる。日本は1931年に満州事変を引き起こすと、1933年には満州国設立を認めない国際連盟を脱退した。このときの日本の外務大臣は誰か。漢字で書け。









(解答)
【世界史】
ブルネレスキ ②アグリッパ ③  ④  ⑤モンテクローチェ

【日本史】
①  ②  ③  ④  ⑤内田康哉


・・・いかがでしたでしょうか。以下、解説でございます。
赤字は1級レベル、青字は2級レベルの用語のつもりです。

【世界史】
フィレンツェのサンタ=マリア大聖堂
firenze.png
を設計したブルネレスキは、
20180805192109404.jpg
ヴァチカンのサン=ピエトロ大聖堂を設計したブラマンテとゴッチャになりやすいですから、気をつけたいところですね。

アグリッパ(B.C63年 -B.C.12年)
220px-Agrippa_pushkin_museum.jpg
は旅行記本文で登場した人名です。
元々は騎士階級(富裕層)出身で、家柄そのものは高くなく、先祖に元老院議員なども皆無でしたが、アグリッパ本人がカエサルの将軍として軍才を示し、カエサル死後後継とされたオクタヴィアヌスを支えます。まだ若く、書生同然のオクタヴィアヌスには軍事的才能はなく、彼に代わってアクティウムの海戦等でローマ軍を指揮し、エジプトを撃破したのはアグリッパでした。文化的事業をも牽引し、南フランスの水道橋ポン=デュ=ガール
pon.jpg
やローマのパンテオンの建設でも知られます。
20180805215226c21.jpg
オクタヴィアヌスはアグリッパに全幅の信頼を置き、娘の大マリアを嫁がせ、病弱な自分が死んだ後は壮健なアグリッパを中継ぎにし、生まれてきた孫たちに皇帝位を継がせようと考えました。しかしその後、思惑とは逆にアグリッパや孫たちが早逝する一方、オクタヴィアヌスが80歳まで長命したため、2代皇帝には養子のティベリウスを据えざるを得なかったという結果になりましたが・・・。

③ルターの肖像画はクラナハの作品です。
 2013年世界史1級で似たような問題が出題されています。地
獄や怪物などを描いた得意な画家ボッス
フィレンツェのウッフィッツィ美術館蔵「ウルビーノのヴィーナス」
220px-Tizian_102.jpg
を描いたのはティツィアーノです。
中でもエラスムス像
Hans_Holbein_d__J__-_Erasmus_-_Louvre.jpg
で有名なホルバインは、ヘンリ8世
82px-Henry_VIII_of_England,_by_Hans_Holbein_the_Younger
に宮廷画家として招かれ、トマス=モア像
Hans_Holbein_d__J__065.jpg
などを描きましたが、ヘンリ8世の4人目の奥さん(アンナ)の肖像画が「似ていない」ということで不興を買い、宮廷画家の身分を剥奪の上追放され、失意の中ロンドンでペストにかかり死亡しました。ヘンリ8世は本当に、いろいろ強烈な人ですよね~・・・。

④ 1のクロティルド
160px-Sainte_Clotilde.jpg
 はフランク王国をまとめ、496年にアタナシウス派キリスト教に改宗したクローヴィスの妃です。
 旧版の『詳説世界史研究』(p183)に名前が出てきます。
 夫のクローヴィスにアタナシウス派キリスト教への改宗を勧めたのは彼女です。このことが、どれほど甚大な影響をその後のフランク王国やヨーロッパの歴史に与えたかはご存知のとおりです・・・。
 クロティルドさんはまた、救貧院の設立・運営等熱心な社会奉仕でも知られ、ローマ・カトリック教会において聖人に列せられており、現在でも6月3日が彼女の記念日とされています。
 2 マリ=ド=メディシスは旅行記でもご紹介した、ブルボン朝の祖アンリ4世の妃です。
 3 アンヌ=ドートリッシュはルイ13世の、4 マリ=レグザンスカはルイ15世の妃です。
2と3は早慶の過去問で見たことがあります。

モンテクローチェはイタリア統一を目指して赤シャツ隊を率いてシチリア島、ナポリなどを占領したガリバルディと、サルディーニャ王ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世が会見した場所です(旧版『詳説世界史研究』p375
ここでガリバルディは占領地を王に献上することを申し入れ、1861年のイタリア王国建国につながり、統一イタリア建国の英雄と讃えられています。1871年のローマ遷都をもって、19世紀前半から、秘密結社カルボナリの活動等に始まったイタリア統一運動(リソルジメント)は終結となります。
ガリバルディが立派なのは、この時点で政治の一線から引退してしまったことです。自分の仕事は終わった、ということだったのでしょう。権力の座に就くことを自ら拒否したのです。
garibarudhi.png
↑ガリバルディ
国や時代、思想などは異なりますが、20世紀半ばのキューバ革命で活躍したチェ=ゲバラ
gebara.png
を何となく彷彿とさせる人物です。

【日本史】
①弥生時代のものではない遺跡です。
1 尖石遺跡 2 紫雲出山遺跡 3 垂柳遺跡 4 唐古・鍵遺跡
1か3で迷われた方が多い気がしますが、1の尖石遺跡(長野県)は縄文時代の遺跡です。
2~4はいずれも弥生時代の遺跡です。
尖石遺跡は、縄文時代中期以降、原始的な焼畑による雑穀の栽培が行われていたといわれるところです。
山川用語集の頻度は①ですが、同じ①の鹿児島県上野原遺跡は昨年出題されています。
ここ数年、日本史1級の最初の方ではかなり教科書掲載頻度が低い用語の出題がみられますので(そしていつも不正解・・・( ノД`)シクシク…)、今年も出題されたらできるようガンバりたいと思います・・・。

②当ブログで以前京都旅行について書いたとき、何度も出てきた五山についてですが、今回は鎌倉五山に関する出題です。
1 東福寺 は京都五山第4位の寺院です。
 2~4が鎌倉五山ですね。
 ところで4位と5位の浄智寺・浄妙寺以外の鎌倉五山寺院は私も訪れたことがあるのですが、臨済宗に深く帰依した北条氏がパトロンとなったことで、いたるところに北条家の家紋が残っています(三角形を組み合わせた形)。
kennchouji.jpg
屋根瓦などにも刻まれているので、ずっと残っているのだと思うのですが、あれだけ憎んで滅ぼした北条家の家紋が残っているのを放置した後醍醐天皇や足利尊氏たちは懐が深いというべきなのでしょうか?鎌倉には鎌倉府など重要な政庁も置かれ、尊氏の子基氏の子孫が代々長官(鎌倉公方)を務めましたから、天皇と将軍が京都にいたから気付かなかった、ということではないと思うんですよね・・・。
おそらく中国などではこういうことはあり得ないと思います。中国ではおよそ前代の王朝は滅びるべき悪として、基本的に前代に建設された建造物等も徹底的に破壊されてきました。なのでヨーロッパなどに比べると、中国では古代~近世にあたる王宮などはあまり残っていません。

中国と比べても、この辺が日本人のおおらかさなんでしょうか・・・。

ガスパル=ヴィレラポルトガル人のイエズス会宣教師です。
自治都市に関して記したイエズス会あて報告書『耶蘇会士日本通信』で有名な人物です。
同じポルトガル人のイエズス会宣教師としては、織田信長にも謁見し、秀吉とも親しくしてキリスト教の日本布教を進展させたルイス=フロイスも著名です。著書『日本史』も知られています。
ちなみにフランシスコ=ザビエルはスペイン人ですね。
ヴァリニャーニはイタリア人宣教師で、セミナリオやコレジオの設立、天正遣欧使節の派遣、活版印刷機の紹介など多くの活動の跡を残した人物です。

④岩倉使節団
iwakura.png
が訪れなかった都市は、
1 イタリア 2 スウェーデン 3 スペイン 4 オランダ
の中ではスペインだけです。
岩倉使節団はアメリカで不平等条約の改正交渉に失敗すると、目的を条約改正から欧米視察に切り替え、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、ロシア、デンマーク、スウェーデン、イタリア、オーストリア(ウィーン万国博覧会を視察)、スイスの12か国をまわりました。最も長く滞在したのはイギリスの4カ月間です。これら先進諸国の産業、経済、政治状況を明治政府首脳が自ら目の当たりにしたことが、この後の日本の近代化にどれほどの影響を与えたかはご存知の通りです。

彼らがスペイン・ポルトガルを訪れなかったのは久米邦武著『米欧回覧実記』に「時間の都合」と記されていますが、それはつまり時間をかけて訪れる価値がないということのような・・・
両国はすでに凋落の最中でしたからね・・・。

⑤1933年3月、日本が国際連盟を脱退した際の「外務大臣」は
 内田康哉(やすや)
utida.png
です。
松岡洋右
matuoka.png
と答えた方が多いのではないかと思うのですが、松岡氏は国際連盟に派遣された日本の「全権」です。
これも毎年、ねこまる的に「ひとり予想」しているところなのですが、出ませんね~💦

内田さんは同志社大学を2年で中退して東京帝大法科に入りなおして卒業後外務省に入省した人物です。
第4次伊藤博文内閣(1900~1901)で外務次官を務めたのち、第二次西園寺公望内閣(1911~12)、原敬・高橋是清・加藤友三郎内閣で外相、この後南満州鉄道総裁、帰国後32年、斉藤実内閣で外相を歴任し、明治・大正・昭和の3代にわたって外務大臣を務めた唯一の人物です。ちなみに外相在職期間は通算7年5か月と歴代最長です。

この人物があまり知られていない(ですよね?)のは、おそらく「あまり評判が良くないから」ではないかと思います。
内田さんは大正期の原・高橋・加藤各内閣の外相時代は第一次世界大戦の戦勝国側としてヴェルサイユ会議、ワシントン会議に臨みました。列強との協調を主張する加藤友三郎首相を支え、海軍軍縮条約、四か国条約、そして中国の現状維持を約した九か国条約の取りまとめの日本側の仕切り役は実は内田外相でした。
(四か国条約では日英同盟を失い、九か国条約では山東省の利権を中国に返還するなど外交的には「完敗」)と言われますが。)
その後の有名な幣原喜重郎外相の「協調外交」の土台は内田さんのときにつくられました。
ところが内田さんのこうした欧米との協調姿勢は1932年からの斉藤実内閣の外相時代に180度転換します。
どうもこれは、彼が満鉄総裁時代に関東軍幹部との交流が進む中で考え方が変わってしまったようです。

1931年に関東軍が満州事変を引き起こし、1932年には満州国を樹立、九か国条約や不戦条約(1928)の違反になるとして反対した犬養首相が暗殺される(五・一五事件)など混乱が続く中、国際連盟において滿洲国の取り扱いが審議されると、松岡洋右が全権として交渉に臨みました。すると主権を中華民国(蒋介石勢力)に潜在的に認めたまま日本の「勢力圏」とするという、日本に有利な調停案がまとまりましたが、なんと外相の内田さんはこの提案を一蹴し、日本は満洲国を国家承認しました。そしてその直後に日本は国際連盟脱退となったのです。内田さんは自分が1920年代のワシントン会議中にとりまとめた九か国条約に自ら違反するような対応をしたのです。
さらには1932年(昭和7年)8月25日、衆議院で「国を焦土にしても満州国の権益を譲らない」と答弁(焦土演説)し、質問した国会議員が逆に仰天してしまったというエピソードまで残してしまう有様・・・。
内田さんに関して、ある外交評論家は「彼(内田さん)についての記録から彼の思想信念を知ることは難しい。おそらく特に哲学のない単なる有能な事務官僚だったのだろう。したがってその行動も時流とともに変わっていく。その意味で内田の意見は、時の国民意識の変化を代表しているといえる。」と述べています。




今回は以上です。

過去問や「ねこまる的」予想問題でしたが、今年の歴検でお役に立てれば幸いです。
私の予想はあまり当たらないのですが・・・(^^;) 

いつもお読みくださりありがとうございます。

ねこまる
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コメント

No title

ねこまるさん、こんばんは。
世界史、日本史とも問題を解いてみましたが、世界史は1問(1)、日本史は2問(1,2)しか正解できませんでした。。私には難しかったですね^^;(他の方の出来はどうだったのでしょうか?)
鎌倉五山では、建長寺、円覚寺、浄智寺は行ったことがあります。特に、円覚寺、浄智寺は今年の6月にも行きましたが、北鎌倉の駅に近いので割と行きやすい場所ですね。紫陽花の花盛りの時期でしたので明月院は大混雑でしたが、鎌倉五山第4位の名刹「浄智寺」はなぜか大変空いていました。穴場だと思います!^^v
ねこまるさんの解説はいつも丁寧で大変勉強になります。今後もよろしくお願いしますね。

しゅうしゅう様

こんにちは。ねこまるです。

今回はまだ他の方からは結果を伝えていただいてません。
一人だけ連絡がありましたが、難しすぎて途中で諦めた、とのことでした(日・世2級保持者)

1級は基本的な問題も多く出題されますが、当ブログの「問題編」では「出題されたら差がつく」ようなところを問題にしています。
私自身の勉強のためでもありますので…(^^)

ところで鎌倉はいいところですね。
何回行っても、また行きたくなります。
今年も涼しくなったら一度行ってみたいです(^^)

ねこまる

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プロフィール

ねこまる (tms358)

Author:ねこまる (tms358)
歴史能力検定の日本史1級に8度、世界史1級に5度合格しています(2019年1月現在)。
普段やっていることなどをつらつら書いています。
宜しければ読んでみてください(^^)

本題とは無関係ですが、ねこ、うさぎが好きです。
今はいませんが、いつか
一緒に暮らせたらいいなと思っています。

※画像のうさぎは歴検と何の関係もありません。
 以前一緒に住んでいたうさぎのイメージでございます(スミマセン)

ご来場者数 2018.6.10〜

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