FC2ブログ

記事一覧

北九州(対馬・壱岐・福岡)旅行記 その2

こんにちは。ねこまるです。

8/29(水)
対馬に2泊後、早朝のフェリーで壱岐に到着しました。対馬から約1時間です。
201809172217138d3.jpg

港ではレンタカーを会社の方がご用意して待っていてくれました(^^)
そのまま出発です。
壱岐はこんな感じで回りました。
chi5.gif

まずは元寇の際に奮戦した①少弐氏の神社へ・・・。
20180917221716f68.jpg
弘安の役において19歳で戦死した少弐資時(すけとき)さんが祀られています。

少弐氏は平安時代、あの平将門を討った藤原秀郷の末流と称し、武蔵国に所領があったため武藤氏を名乗っていました。武藤資頼(すけより)は当初平知盛(清盛の四男。のち壇ノ浦で破れ、入水自殺)に仕えていましたが、一の谷の合戦で源氏方の梶原景時に投降、その後頼朝の配下として奥州藤原氏攻撃などで功をあげ、出羽国の地頭職を授かったといいます。京都にいた平家に仕えていたことで、有職故実の知識もあったために頼朝の息子で2代将軍となる源頼家の元服の儀式を取り仕切るなど、文武に優れた武将として頼朝の信頼を獲得したのでしょう。
その後九州に派遣されて大宰府の少弐(次官級)に任ぜられ、
sitoukan.png
鎮西奉行を務めたのち、肥前国、筑前国、豊前国、壱岐国、対馬国の守護となりました。形骸化していたとはいえ、公家の官職である少弐に一御家人が任じられることは当時も異例のことだったようです。「大出世」を遂げた、封建社会の成功者だったのですね(^^)
息子の資能(すけよし)から、「少弐」を名乗ったそうです。
先ほどの、壱岐の英雄資時はこの方の孫にあたります。

フェリーの船着き場、芦辺港には立派な資時さんの銅像も・・・(1997年設置)
220px-Suketoki_Shoni_Statue.jpg

その後、すぐ近くの「千人塚」へ歩いて行きました。
11066062_2104560548_184large.jpg
元寇で殺害された大勢の人々の遺体が埋められたことから「千人塚」と呼ばれています。今でもお花が供えられています。
壱岐にはこうしたところが多数あります。
それほどに元・高麗軍は住民に対して過酷でした。
対馬や壱岐の惨状を伝え聞いた日蓮が書き留めた記録によれば、壱岐の住民は全滅に近いほどに殺戮され、子供は連れ去られて奴隷にされ(実際、武将や王侯に献上された子たちが大勢いたようです)、女性も手の甲に穴を空けられてそこにヒモを通されて数珠つなぎにされて連行され、船の側面にぶら下げられたといいます。これは日本側が蒙古船に矢を射かけられないようにするためだそうです・・・。
・・・ってこれが本当だとすると、人間のすることとは思えません。
実行部隊としては高麗兵が多かったようですが、それを指揮したモンゴル人の残虐性は人類史上稀なもののように思います。
京都大学名誉教授でいらした梅棹忠夫先生はモンゴル人を生んだ乾燥地帯・草原は「悪魔の巣」とおっしゃっています。

実際、対馬・壱岐ではこのときの元・高麗兵は「悪魔」のようなものとして語り継がれています。

文永の役 新城古戦場
201809172217206b0.jpg
20180917221716321.jpg
戦場となったこちらも「千人塚」があります。
このすぐ近くの↓は現在「新城神社」となっていますが、文永の役の際は少弐氏の居城で、激戦の末落城しました。
20180917221720cb9.jpg
20180918224756b18.jpg

1274年の文永の役~81年の弘安の役で対馬も壱岐も悲惨な状況にさせられましたが、弘安の役での「神風」で蒙古船団が壊滅的打撃を受けると、壱岐の少弐氏を含めた御家人たちは鷹島に立てこもる元・高麗の残兵に総攻撃を仕掛けて掃討し、数千人を捕虜にしたといいます。
赤〇が鷹島
a.png
ちなみに室町初期の前期倭寇の構成員は対馬・壱岐などの住民が多く、元寇の際に連れ去られた家族の捜索・奪還と復讐が大きな動機だったという説もあります。いずれにしても、倭寇による被害が高麗の滅亡を早めたとする見解はほぼ一致しています。

勝浦城
対馬の清水山城同様、豊臣秀吉の朝鮮出兵における前線拠点です。
201809192144303bf.jpg
20180919214431117.jpg
朝鮮出兵での朝鮮側の被害者数は不明ですが、日本側の文禄の役での16万人、慶長の役での14万人の兵力という動員数からすると、相当数に上ると思われます。論功行賞の参考とするためもあって、敵兵の首は重いので「鼻」をそぎ落として日本へ送らせたことから、民間人まで「鼻狩り」の対象となって戦後朝鮮では鼻のない人があふれた、と『詳説日本史研究』にもあります。
京都の「鐘銘問題」で著名な方広寺には「耳塚(実際は鼻塚)」が残っています。

双六古墳
IMG_20180829_095147.jpg
壱岐には約260もの古墳があり、これは長崎県の古墳の6割を占めるとのこと・・・。
双六古墳はそのうちの最大規模のものだそうです。
ちなみに、平成24年に文化庁が実施した都道府県別「古墳の数」の調査結果が
↓だそうです(お疲れ様ですm(__)m)
総数:158905
1位)兵庫県:18841
2位)鳥取県:13459
3位)京都府:13089
4位)千葉県:12750
5位)岡山県:11726
6位)広島県:11255
7位)福岡県:10776
8位)奈良県:9617
9位)三重県:6993
10位)岐阜県:5110
11位)群馬県:4101
12位)静岡県:3453
13位)大阪府:3424
14位)愛知県:3091
15位)埼玉県:3077
16位)長野県:2666
17位)島根県:2564
18位)香川県:2285
19位)石川県:2088
20位)茨城県:1780
21位)和歌山県:1694
22位)熊本県:1356
23位)徳島県:1120
24位)神奈川県:1089
24位)愛媛県:1089
26位)福島県:1039
27位)栃木県:976
28位)滋賀県:926
29位)大分県:891
30位)宮崎県:876
31位)東京都:703
32位)新潟県:625
33位)佐賀県:598
34位)山口県:549
35位)福井県:546
36位)鹿児島県:529
37位)山梨県:516
38位)宮城県:507
39位)長崎県:470
40位)高知県:229
41位)富山県:222
42位)山形県:138
43位)岩手県:66
44位)秋田県:6
45位)北海道:0
45位)青森県:0
45位)沖縄県:0
長崎県の古墳の数自体は多くはないですが、壱岐は長崎の中では朝鮮との交流ルート上にあって交易等で栄えたのでしょう。

「鬼の足跡」
史跡ではありませんが、興味をソソられたので行ってみました。
↓これです。
IMG_20180829_101946.jpg
手前は断崖絶壁で、落ちたら助からなそうです(^^;)
それにしても海が本当にきれいです・・・
20180919215942160.jpg

20180919214429a95.jpg
201809192159421e2.jpg
普段、ほぼ海をみることのない場所に住んでいるため、とても新鮮です。
いつか海がきれいな離島に中古住宅でも買って別荘代わりにしようかな・・・
なんてしょうもない妄想を抱いてしまいましたw(不動産業をやっているもので・・・(笑))

原の辻(はるのつじ)遺跡、⑦一支国博物館
IMG_20180829_110418.jpg
いわゆる『魏志』倭人伝の「一支国」とされる壱岐の王都であったという原の辻遺跡は、1993年からの発掘調査によって、『魏志』倭人伝に登場する国々の中で初めて、実在の集落であったことが証明されました。また、1996年に「日本最古の船着き場」が発掘されたこともあって一時期話題になりました。日本史1級でも2000年前後頃に短答式で出題されています。
images.jpg
↑船着き場の復元模型

小島神社
観光案内に「日本のモン・サン・ミシェル」と書いてあり、気になったので行ってみました。
↓モン・サン・ミシェル
monsan.jpg
潮の引いたときに陸続きになるということでも知られています。
1979年に世界遺産に登録されたことで、今ではフランスを代表するような史跡になっていますが、登録前は世界的な知名度は皆無に近かったようです。
↓小島神社
201809182247579e8.jpg
海中に道らしきものが見えますが、降りるための階段などもなく歩いて島まで行けないのが残念ですが、とても美しい景観でした!

壱岐は対馬に比べてもだいぶ面積は小さく、ここまで見てもまだ昼過ぎでした(笑)
港近くのショッピングモールの休憩場所で食事&少々ヒルネをし、午後3時過ぎに宿泊先の旅館にチェックインして海岸をひたすら散歩してました。
穏やかなとてもいい時間でした(^^)

次回最終回は福岡県編&問題編となります・・・。
引き続きお付き合いいだだければ幸いです。

いつもお読みくださりありがとうございます。

ねこまる




「合格宣言」してみませんか?
↓の記事のコメント欄にどうぞ!!
合格宣言
スポンサーサイト

コメント

No title

ねこまるさん、こんにちは。
壱岐の写真も綺麗に撮れていますね。
元寇の際、手に穴をあけられて連れ去られた、という話は聞いたことがありましたが、本当に残虐ですよね。恐ろしや。。

古墳数のデータも面白いですね。上位県のほとんどは西日本である中、東日本で唯一、千葉県が上位に入っているのは興味深いです。古墳文化は西から東に広がっていったことを考えると、おそらく6世紀以降のものが主流なのでしょうか。

原の辻遺跡。確かに歴検1級の過去問で見たことがありましたね。実在の集落だったことが証明されたとのことですが、例えば福岡県の糸島市の辺りは当時「伊都国」と呼ばれていたそうですが、こちらの実在性は証明されているのでしょうか?

「日本のモン・サン・ミシェル」。個人的には、江の島のほうがそれっぽい気がしますが、これは個人の感性かも。。^^;

次回はまた問題を用意してくださるのですね。また楽しみにしていますね。

しゅうしゅう様

こんにちは。ねこまるです。
コメントありがとうございます。
壱岐は元寇の恐怖の記憶がいまだに色濃く残っているなあ、という印象が強いです。
小さな島であるために、人口が急増して都市化し、ビルや新興住宅地の建設されて過去の遺跡が埋もれて遠い記憶になってしまうといったことがなかったということもあるのかな、という気がします。
なので原の辻遺跡の発掘調査も割と短期間(1993~96年)でかなりの成果が出せたのかな~なんて思います。
伊都国については「存在が証明された」という記述は探した限り見つからなかったのですが、ご指摘のとおり糸島市の三雲南小路遺跡と平原遺跡が伊都国の遺跡として考えられているようです。
他にも末盧国の遺跡とされる宇木汲田遺跡など、『新詳日本史』(浜島書店)の4ページに結構詳しく書いてあります(ご存知かもしれませんが(^^))。
ここも毎年「歴検に出るかな~」なんてひとり予想しているところですが、出ませんね~(^^;)
ねこまる

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ねこまる (tms358)

Author:ねこまる (tms358)
歴史能力検定の日本史1級に8度、世界史1級に4度合格しています(2018年1月現在)。
普段やっていることなどをつらつら書いています。
宜しければ読んでみてください(^^)

本題とは無関係ですが、ねこ、うさぎが好きです。
今はいませんが、いつか
一緒に暮らせたらいいなと思っています。

※画像のうさぎは歴検と何の関係もありません。
 以前一緒に住んでいたうさぎのイメージでございます(スミマセン)

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ご来場者数 2018.6.10〜